本物の石が届く前
大正の湖の本にも、戦前の五輪の報告にも、カーリングの名前は出てきます。ただ、戦前に諏訪や山中湖で「カーリング」と呼ばれていたのは、12ポンドほどの軽い道具を滑らせるアイスストックだったようです。
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1918
諏訪湖の研究書にカーリング
田中阿歌麿『湖沼学上より見たる諏訪湖の研究』は、諏訪湖の氷の遊びとして、アイスヨットと並べてカーリングを挙げています。行われていたのではなく、取り入れれば面白くなるという提案でした。
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1932.02
レークプラシッド五輪の公開競技
日本選手団の報告書にも、日程の中に「カーリング模範試合」と書かれています。
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1936.02
ガルミッシュ五輪の公開競技はアイスストック
取っ手の付いた小さな石を滑らせる、ドイツ式のカーリングです。選手団はこの大会のあと用具を持ち帰ったと伝えられています。
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1936.11.18
「我が日本では未だ挙行された事のない」
この日に出た青木末弘『最新スケーティング』は、カーリングをボブスレーと並べて、日本ではまだ行われていない競技として紹介しています。
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1937.01.17
山中湖で「第1回全日本カーリング選手権」
山中湖平野リンクに山中電灯、吉田スキークラブ、吉田記者クラブなどが集まり、山中電灯が優勝しました。どんな道具を使ったかは書かれていません。
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1937
諏訪で初練習。道具は12ポンドの「ストック」
秋宮リンクで、白鳥スケートクラブの有志らが初めて練習しました。届いた道具は1個12ポンド(約5.4kg)のストックが8個。今のカーリングの石(約20kg)よりずっと軽く、アイスストックだったとみられます。
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1938
戦前の「日本カーリング協会」が大会を開く
日本カーリング協会と諏訪カーリング協会の主催で、岡谷の塩嶺スケートリンクで第二回全日本カーリング大会。会長は岩波寛です。いまの日本カーリング協会(1984年設立)とは別の団体です。
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1940(計画)
幻の札幌五輪で、番外競技の候補に
返上された札幌冬季五輪の計画では、カーリングが女子スピードスケートなどと並んで番外競技の候補に挙がっていました。
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1947
諏訪湖で「16ポンドの駒」
戦後、日本カーリングクラブが湖の上で大会を開きました。紅白に分かれて16ポンドの駒を円の中へ滑らせる遊びで、「年老いた人達の楽しみ」と書かれています。
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1972
蓼科高原のホテルにリンク
この年の本によると、国内でカーリングができるのは蓼科高原のホテルの1か所だけ。都内に2つのリンクが開く予定で、問い合わせ先はカナダ大使館でした。
本物の石が動き出す
1977年の冬、池田町に借りものの石が届きます。北海道とカナダの交流事業に乗って元世界王者が道内を回り、町ごとに協会ができていきました。
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1977.05.19
池田町がカナダのペンティクトン市と姉妹都市に
この縁が、半年後の講習会につながります。
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1977.12
池田町で道内初の講習会
講師はカナダ政府観光局のフレイザー氏と、カナダ大使館のスエンソン氏。石は長野の蓼科高原のホテルから借りました。
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1978.02
第1回カナダ・カエデストーン杯
姉妹都市の提携を記念した大会に12チームが出て、国鉄池田電気支区のスベローズが優勝しました。
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1978.12
池田カーリング協会
会員は45名。記念誌はこれを「日本第1号」と書いています。
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1979.03.22
北海道カナダ協会ができる
会長は北海道銀行頭取の森鼻武芳氏。堂垣内知事から「カナダで人気のカーリングを道内に広めたい」と頼まれ、協会の事業として普及に取り組みます。
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1980.01.21
元世界王者ウースリアック氏が来道
アルバータ州から派遣され、士別、池田、札幌、苫小牧で指導者講習会を開きました。講習は1984年まで5シーズン続きます。
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1980.02.01
さっぽろ雪まつりで第1回北海タイムス杯
大通西5丁目の特設リンクに11チームが集まりました。
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1980.02.15
常呂カーリング協会
池田に次いで2番目の協会です。はじめはビールのミニ樽やプロパンボンベで作った石で練習していました。
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1980.12.15
常呂に本物の用具が届く
町の教育委員会と協会が1セットずつ買い、町営スケートリンクの隣に3面のコートを作って、翌年1月からリーグ戦を始めました。
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1981.02.08
北海道カーリング協会
アルバータ州の親善視察団の来道に合わせて旗揚げしました。会長は森鼻武芳氏です。
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1981.02.25
第1回NHK杯
常呂町で開かれた、初心者から誰でも出られる大会です。
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1982.01
初めてのインストラクター31名
ウースリアック氏の検定講習会から生まれました。
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1982.03.13
第1回北海道選手権(アルバータ杯)
真駒内で開かれ、池田のトライヤーズが優勝しました。優勝杯はアルバータ州政府から贈られたものです。
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1983
稚内に屋内のカーリング場
ノシャップの米軍施設の跡を使ったもので、記念誌は「日本で最初の屋内専用カーリング場」と書いています。
日本代表ができる
北海道の協会が中心になって日本カーリング協会ができ、日本選手権が始まります。女子は1990年に初めて世界選手権に出て、1998年の長野で正式競技を迎えました。
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1984.02.25
日本カーリング協会ができる
初代会長は森鼻武芳氏。事務局は北海道カーリング協会の中に置かれました。
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1984.02.26
第1回日本選手権
真駒内に男子6チームが集まり、決勝は池田町のレッドパジャマが14対9で勝ちました。
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1985.03
国際カーリング連盟に加盟
グラスゴーの総会で認められました。座談会では「1月、フランスの総会」と語られていて、時期と場所は確かめ中です。
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1985.12
初めての世界への挑戦
常呂のビックマリンが、西ドイツで開かれた世界選手権の予選に出ました。結果は2戦2敗です。
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1988.01
常呂町カーリングホール
5シートの屋内専用ホールで、総工費は約2億5000万円でした。
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1988.02
日本選手権に女子の部
第5回から始まり、4チームのうち池田町のビッグボナンザが優勝しました。
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1989.12
河西建設女子が世界選手権へ
チャレンジマッチで準優勝し、出場権を取りました。翌年4月、スウェーデンのヴェステロースで日本の女子が初めて世界選手権に出て、10位でした。
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1991.11.28
第1回パシフィック選手権
相模原の銀河アリーナで開かれ、女子は東光舗道レディースが優勝しました。
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1992.02
アルベールビル五輪の公開競技
帯広の東光舗道レディースが出場し、8位でした。
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1992.11
日本カーリング協会が社団法人に
この年、事務局を北海道から東京へ移しています。
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1993.03
JOCと日本体育協会に正式加盟
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1998.02.09
長野五輪で正式競技に
男女とも5位。男子はタイブレークでアメリカに4対5で敗れ、準決勝に届きませんでした。
五輪の常連になる
長野のあとも、女子は五輪に出続けます。シムソンズ、チーム青森、北海道銀行と代表は入れ替わり、2016年には世界選手権で初めてのメダルを取りました。
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1998.03.29
世界ジュニア女子で銀
日本の世界ジュニアで初めてのメダルです。
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2002.02.11
ソルトレークシティ五輪、女子8位
シムソンズを中心にした代表でした。
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2006.02.13
トリノ五輪、チーム青森が7位
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2007.03.17
青森で世界女子選手権
日本で初めて開かれた世界選手権です。
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2010.02.16
バンクーバー五輪、チーム青森が8位
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2010.10.23
常呂でLS北見(いまのロコ・ソラーレ)が始動
本橋麻里が地元に戻って作ったチームが、5人そろって初練習をしました。
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2014.02.10
ソチ五輪、北海道銀行が5位
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2016.03
世界女子選手権で初めてのメダル
LS北見が銀メダルを取りました。
メダルに届く
平昌で銅、北京で銀。ジュニアやミックスダブルス、車いすの大会でもメダルが続いています。
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2018.02.14
平昌五輪、男子は20年ぶりの出場
SC軽井沢クラブが4勝5敗で8位でした。
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2018.02.24
平昌五輪で銅メダル
3位決定戦でLS北見がイギリスに5対3で勝ちました。日本のカーリングで初めての五輪メダルです。
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2022.02.20
北京五輪で銀メダル
準決勝でスイスに8対6で勝ち、決勝はイギリスに3対10で敗れました。
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2022.05.22
世界ジュニア女子で初優勝
SC軽井沢クラブJr.を中心にした代表が、日本で初めて世界ジュニアを制しました。
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2023.04.29
世界ミックスダブルスで銀
松村千秋・谷田康真組。この種目で日本初のメダルです。
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2025.03.16
世界車いすミックスダブルスで金
小川亜希・中島洋治組が優勝しました。
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2025.12.10
フォルティウスが五輪の出場権
最終予選でノルウェーに6対5で勝ちました。
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2026.02.12
ミラノ・コルティナ五輪、フォルティウスが8位
資料について
北海道の始まりは『北海道カーリング協会10周年記念誌』(1994年。北見市カーリングナビで公開)、戦前の話は国立国会図書館デジタルコレクションの本、大会の成績は World Curling と日本カーリング協会の記録によります。資料によって日付や場所が違うものには「資料で食い違い」、裏付けがまだ1つの資料しかないものには「確かめ中」と添えています。